2026/08/17 解決事例・コラム
「企業買収における行動指針」とは?取締役会が押さえるべき7つの論点を解説
公開日:2026年8月12日
経済産業省が策定した「企業買収における行動指針」は、上場会社の経営支配権を取得する買収における取締役・取締役会の行動規範を示すものです。本コラムでは、「望ましい買収」の判断基準から、真摯な買収提案・真摯な検討の内容、企業価値の考え方、取締役の善管注意義務との関係まで、取締役会として押さえておくべきポイントを整理します。
1 望ましい買収とは何か
買収提案を受けた対象会社にとって、まず気になるのは「この買収は望ましいものなのか」という点でしょう。本指針は、望ましい買収か否かを、対象会社の企業価値ひいては株主共同の利益を確保し、又は向上させるかを基準に判断すべきとしています。
ここで重要なのは、高値の買収価格が提示されていることのみをもって、望ましい買収と評価されるわけではないという点です。望ましい買収は、以下の3つの要素がそろって初めて成立します。
買収により、対象会社の企業価値そのものが向上すること。
向上した企業価値の増加分が、適正な取引条件により買収者・株主の間で公正に分配されること。
①②の結果として、株主全体の利益が確保されること。
つまり、対象会社の企業価値が向上することが、望ましい買収の大前提です。複数の買収提案がある場合、単純に買収価格が高い提案を選べばよいというものではなく、それぞれの提案が企業価値の向上にどの程度資するかという観点からの検討が必要になります。ただし、一般的には、買収価格は買収後の対象会社の企業価値を示す重要な要素であるため、買収価格の水準にも十分な留意が必要です。
2 真摯な買収提案の3要件
取締役会は、「真摯な買収提案」に対しては「真摯な検討」を行うことが基本となります。では、どのような買収提案が真摯な買収提案に当たるのでしょうか。本指針は、以下の3要件を満たす提案を真摯な買収提案としています。
買収ストラクチャー、買収対価の額や種類、取引実行の前提条件やスケジュール等の取引の主要条件が具体的に明示されていること。
経営支配権取得後の経営方針が示されていること。価格の吊り上げや情報収集のみを目的とする提案ではないこと。
買収資金の裏付けがあり、当局の許認可取得の見込みなど、買収の実施に至ることが客観的に期待できること。
これらの要素が合理的に疑われる場合には、真摯な買収提案に当たらないと判断することもあり得ます。もっとも、いずれかの要素に該当する事情があれば直ちに真摯な買収提案に該当しなくなるわけではなく、各要素を総合的に考慮して判断する必要があります。逆に、これらの要素に該当しない場合に直ちに真摯な買収提案として扱うべきとの結論が導かれるものでもありません。
取締役会としてとりわけ留意すべきは、「真摯な買収提案」該当性を恣意的に解釈し、真摯な検討を避けることがあってはならないという点です。たとえば、独禁法や外為法などの当局の許認可が取得できない可能性があるというだけで、直ちに実現可能性が否定されるわけではありません。必要な手続や問題解消措置を講じることで許認可取得の蓋然性を高める余地があるかどうかも踏まえた検討が求められます。
3 真摯な検討で考慮すべき事項
真摯な買収提案に該当すると判断した場合、取締役会は経営判断の原則に基づく広い裁量のもと、買収に応じるか、スタンド・アローン(現経営陣が経営を続けること)や第三者との提携・協業などの戦略的選択肢を含めて、企業価値の向上に資するかどうかの観点から検討することになります。この検討に際して考慮すべき事項として、本指針は以下を挙げています。
取締役会は、買収者が提示する買収価格や企業価値向上策と、対象会社によるスタンド・アローン等の企業価値向上策のいずれが中長期的な企業価値向上に資するか、シナジーとディスシナジーの双方を考慮した上で、定量的な観点から比較検討することが望まれます。定量的な分析が困難な場合には、買収者による定性的な説明が合理的・説得的であるかを確認することで代替することも考えられます。
また、買収提案が公表された場合等には、取締役会は買収提案への対応や判断の合理性について説明責任を果たすことが求められます。会社の経営支配権に関わる事項は株主の合理的な意思に依拠すべき問題であるため、取締役会が買収に応じないと判断した場合であっても、最終的に買収の成否を決定するのは株主であり、結果的に買収が成立する可能性がある点にも留意が必要です。
4 企業価値の意味
本指針において「企業価値」とは、企業が将来にわたって生み出すキャッシュフローの割引現在価値の総和を意味する、定量的な概念です。もっとも、一見して定性的な価値であっても、将来のキャッシュフローを増加させたり、割引率を低下させたりすることを通じて、将来キャッシュフローの割引現在価値を高めることが合理的に見込まれる場合には、その定性的な価値も企業価値に含まれます。
対象会社の取締役・取締役会は、たとえば従業員や取引先の利益が害される場合、買収者にコンプライアンス上・倫理上の問題がある場合、買収後にサプライチェーンが脆弱化する可能性や技術情報の流出可能性がある場合であって、それらが対象会社の将来のキャッシュフロー又は割引率に影響を与えることが合理的に見込まれるときは、当該買収提案による企業価値の向上を検討する際に、その影響を考慮することができます。ただし、こうした影響については、可能な限り定量化することが望ましく、定量化が困難な場合には、株主に対する説得力のある説明が求められます。
5 企業価値と買収価格が見合わないケース
買収者が提示する買収価格は、一般的には「買収による対象会社の企業価値向上の見込み」という買収者の評価を反映するものであり、買収後の対象会社の企業価値を示す重要な要素です。そのため、過去の株価水準よりも相応に高い買収価格が示された場合には、企業価値を高めることが合理的に期待できると考えられます。
もっとも、例外的に、買収後の企業価値と買収価格が見合わない場合もあり得ます。本指針は、以下のような場合を例として挙げています。
企業価値の向上に資する買収提案と、株主が享受する利益(買収価格)がより大きな買収提案は、通常は一致すると考えられます。
①ステークホルダーの取り分を不当に減らして株主の取り分を増やす場合、②買収後の企業価値を過大評価している場合には、企業価値と買収価格が見合わないことがあります。
対象会社の取締役・取締役会は、買収者が提示する買収価格が買収後の企業価値に見合っているかを検討する際には、買収者やステークホルダーからも必要に応じて情報収集を行いつつ検討することが求められます。「買収後の企業価値と買収価格が見合っていない」という判断をする場合には、株主に対する説得力のある説明が必要です。
6 買収に応じる方針を決定した場合の対応
取締役会が買収に応じる方針を決定した場合、対象会社の取締役・取締役会は、企業価値を向上させるか否かの観点から、いずれの買収提案に応じるかを経営判断することになります。ここで重要なのは、本指針は米国のいわゆるレブロン義務(会社売却を決めた場合に株主利益=価格のみを考慮する義務)を定めるものではないという点です。
7 本指針の法的な位置付け
本指針は、会社法上の取締役の善管注意義務・忠実義務について直接整理することを企図したものではありません。もっとも、本指針が示すベストプラクティスを参照して行動することにより、取締役がこれらの義務に違反するリスクを低減することが期待されています。
取締役会は、買収に応じるか否かについて、経営判断の原則に基づく広い裁量を有しています。そのため、取締役会が真摯な検討を行った上で買収に応じないと判断した場合には、結果的に買収が成立したとしても、そのことのみをもって当該経営判断が善管注意義務違反と評価されることは、基本的には想定されません。
同様に、株主が享受すべき利益が確保される取引条件の実現に向けて合理的な努力を尽くした上で、最も企業価値の向上に資する提案に賛同すると判断した場合には、結果的に取締役会が賛同したものとは異なる提案に係る買収が成立したとしても、そのことのみをもって当該判断が善管注意義務違反と評価されることは、基本的には想定されません。
本指針が示すベストプラクティスは、それ自体が一律に法律上の義務として課されるものではなく、個々のベストプラクティスをどの程度実践すべきかは、個別の事案に応じて判断されることになります。もっとも、取締役が会社の企業価値を向上させる責務を果たし、善管注意義務・忠実義務違反のリスクを低減する観点からは、本指針が示すベストプラクティスを参照しつつ行動することが望ましいといえます。
まとめ
企業買収・M&Aに関するご相談
企業買収への対応方針の検討や、買収提案を受けた際の取締役会対応、真摯な検討プロセスの整備など、企業法務に関するお悩みは弁護士法人市ヶ谷板橋法律事務所までお気軽にご相談ください。

