カスタマーハラスメント(カスハラ)対策が、令和7年法律第63号(2026年10月施行・政令案)と東京都条例(2025年4月施行済み)という二重の制度変化により、企業にとって「いつか整えるもの」から「今すぐ整えるもの」へと変わりました。立法の背景・事業主に課される措置義務の内容を正確に把握した上で、現場で再現できる運用体制を今日から構築することが求められています。
1 そもそも「カスハラ」とは――法律上の定義とクレームとの違い
(1)本改正法における定義
令和7年法律第63号(労働施策総合推進法等改正)により、カスタマーハラスメントは法律上次のように定義されました。
職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の者であって事業主の行う事業に関係を有する者の言動であって、その雇用する労働者が従事する業務の遂行に関して社会通念上許容される範囲を超えるものにより当該労働者の就業環境を害すること(労働施策総合推進法33条1項)
厚生労働省のマニュアル(案)はさらに判断の3軸を示しています。
- 要求内容の妥当性――要求そのものが合理的かどうか
- 手段・態様――長時間拘束、暴言、脅迫、土下座要求、SNS晒し等
- 就業環境への影響――労働者が安全・安心に働けているかどうか
法令審議の場では具体例として、①性的な要求や労働者のプライバシーを侵害する要求、②暴力行為、③SNSへの悪評投稿で脅すこと、④盗撮などが挙げられています。
https://www.mhlw.go.jp/content/11921000/000894063.pdf
(2)正当なクレームとカスハラの違い
企業実務で最も難しいのは「要求が一部もっともらしい」ケースです。重要なのは、「要求の中身」だけでなく「言い方・やり方・継続性」を評価軸に入れることです。
| ✓ 正当なクレーム | ✗ カスハラ(不当・悪質なクレーム) |
|---|---|
| 改善を求める合理的・妥当な要求 | 要求内容が社会通念上不相当 |
| 業務改善につながる意見・苦情 | 暴言・侮辱・脅迫・差別的言動 |
| 顧客の権利行使の範囲内 | 長時間拘束・執拗な繰り返し |
| 一度・少回数の問い合わせ | 土下座要求・担当者の解雇要求 |
| 対面や通常チャネルでの意思表示 | SNS晒し予告・撮影強要 |
(3)見落とされがちなカスハラのケース
以下は「クレーム」と見なされがちですが、態様によってカスハラに該当し得ます。東京都条例は「電話・インターネット等における行為を含む」「企業間取引を背景とするカスハラも禁止され得る」と明確化しています。
- 電話・メール・チャット――執拗な問い合わせや暴言
- BtoB取引――発注側・元請側からの圧力的言動(下請法・独禁法との交差領域)
- SNS・口コミ――投稿の示唆、実名での継続的批判・嫌がらせ
- 個人情報の持ち出し――担当者の個人SNSや自宅への接触
- フリーランスへの対応――本改正法の立法過程でもフリーランスの保護が論点となっており、フリーランス保護新法との連携も今後の課題です
https://www.reiki.metro.tokyo.lg.jp/reiki/reiki_honbun/g101RG00005328.html
ポイント(第1章)
カスハラ該当性の判断は「要求の妥当性・手段態様・就業環境への影響」の3軸で行います。オンライン上の言動やBtoB取引における圧力、フリーランスへの対応も対象に含まれる点を見落とさないことが重要です。
2 なぜ今なのか――被害実態と放置したときの連鎖リスク
(1)被害の規模感(厚労省データ)
令和5年度厚生労働省委託事業「職場のハラスメントに関する実態調査」報告書(2024年3月)によれば、過去3年間にカスタマーハラスメントを受けた経験のある労働者の割合は10.8%に上ります。パワーハラスメントの19.3%に次ぐ数字であり、「長時間の拘束や同じ内容を繰り返す過度なクレーム」「名誉棄損・侮辱・ひどい暴言」が多く報告されています。特定業種に限らず幅広い職場で発生している点が特徴です。
厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html
(2)放置した場合の「連鎖リスク」
カスハラ1件が収束せず放置されると、次の連鎖が起きやすくなります。対応が遅れるほどコストは指数的に増大します。
| フェーズ | 発生する問題 |
|---|---|
| ① 初動ミス | 不本意な約束・過度な金銭対応(現場判断のブレ) |
| ② 炎上 | 「言った/言わない」の水掛け論→SNS拡散・口コミ被害 |
| ③ 人的損失 | 担当者の精神的疲弊→休職・離職・採用難 |
| ④ 品質低下 | サービス品質低下→さらなるクレーム増加 |
| ⑤ 経営リスク | ブランド毀損・損害賠償・取引停止 |
ポイント(第2章)
被害は全業種に及び、労働者の約11%が経験済みという無視できない規模です。放置するほど連鎖的にコストが拡大するため、カスハラ対策は「現場の根性論」ではなく会社としての危機管理・労務管理の課題として扱う必要があります。
3 法改正・条例の全体像――立法経緯と企業が「待てない」理由
(1)本改正法(令和7年法律第63号)の立法経緯
本改正法は、2025年3月11日に第217回国会に提出され、同年5月8日に厚生労働委員会に付託、6月3日の両院可決を経て6月11日に公布されました。参議院の附帯決議では「労働者の就業環境を害する言動又は行為については、仕事の世界におけるハラスメントとして全て禁止することという観点を含め、多くの項目が盛り込まれた」とされており、立法府としてカスハラに対する強いメッセージが示されています。
立法の背景には、①カスハラを含むハラスメント防止対策の強化、②女性の職業生活における活躍推進、③治療と仕事の両立支援という3本柱があり、カスハラ対策はその第1の柱として位置づけられました。
(2)事業主の措置義務の内容
本改正法により、カスタマーハラスメント防止のための雇用管理上の措置を講じることが規模を問わず全企業の事業主の義務となりました(労働施策総合推進法33条1項)。具体的な措置内容は今後国が策定する指針で示される予定ですが、改正法の構造はパワハラ・セクハラ規制と同様の枠組みをとっており、以下が柱となる見込みです。
| 項目 | 内容 | ステータス |
|---|---|---|
| 相談体制の整備 | 相談に適切に対応するための体制整備(同条1項) | 義務 |
| 事後対応の明確化 | カスハラが生じた際の対応(同条2項) | 義務 |
| 再発防止措置 | 再発防止のための措置(同条3項) | 義務 |
| 不利益取扱の禁止 | 相談を理由とする解雇等の禁止(同条2項) | 義務 |
| 行政指導・勧告 | 厚生労働大臣による助言・指導・勧告(同法35条・36条) | 指針策定後 |
| 施行日 | 令和8年(2026年)10月1日(政令案) | 政令案 |
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/zaitaku/index_00003.html
(3)東京都条例(2025年4月1日施行)
東京都では、すでに2025年4月1日から「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」が施行されています。全国初の自治体レベルの条例であり、国の義務化に先行する形で制度が整備されました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 禁止規定 | 「何人も行ってはならない」という強い禁止規定 |
| 適用範囲 | 電話・インターネット等の非対面行為、企業間取引を背景とするカスハラを含む |
| 罰則 | 条例自体に罰則なし。ただし行為内容次第で刑事・民事・下請法・独禁法上の問題になり得る |
| 相談窓口 | 東京都が事業者向けカスハラ電話相談窓口を設置・運営 |
「都内企業だけが対象」ではない点にも注意が必要です。条例の定義では、都内で業務に従事する就業者に加え、事業に関連して都外で従事する者も含まれ得ます。拠点が都外でも、都内での取引・営業活動が伴う場合には実態に即した整理が必要となります。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/03/2025032804
ポイント(第3章)
国の義務化(2026年10月・政令案)と東京都条例(2025年4月施行済み)という二重の制度的要請が揃っています。本改正法の指針策定後は求められる水準がさらに具体化・高度化する可能性があり、「義務化の前に整える」が最もコストが安い選択です。
4 企業が今すぐ整えるべき「5つの仕組み」
義務化対応の本質は、立派な文書よりも「運用(再現性)」です。現場に「判断」を押し付けず、誰でも動ける設計にすることが最優先です。
(1)方針(線引き)を文章化し現場に配る
会社として「どこまで対応し、どこで打ち切るか」を文書にします。口頭での周知では現場のブレが止まりません。盛り込む内容は次の3点です。
- 対応する苦情と、対応を打ち切る行為の基準(暴言・脅迫・長時間拘束・SNS晒し予告等)
- 時間上限・対応回数上限・窓口一本化・エスカレーション基準
- 顧客の正当な権利行使の機会は守るという留意点(萎縮対応を防ぐ)
(2)一次対応→引継ぎ→終了宣言のフローを固定化
現場が最も迷うのは「いつ・誰が・どの言葉で切るか」です。役割ごとの動き方を型として定めておくことが重要です。
| 役割 | やること |
|---|---|
| 一次対応者(担当者) | 事実確認テンプレで聴取。感情対応をしない |
| 責任者(SV・管理職) | 基準に照らして「対応可能範囲」を宣言 |
| 本部(法務・総務) | 継続案件は窓口集約。文書対応へ切り替え |
| 顧問弁護士 | 法的リスク評価・通知書・交渉代理・警察連携 |
(3)記録・証拠の標準化
「言った・言わない」の水掛け論を防ぐには、記録の様式を先に作ることが重要です。後から作るほど証拠としての力が弱くなります。最低限記録すべき項目は次の通りです。
- いつ・どこで・誰が・何を言ったか(5W1H。可能なら逐語メモ)
- 音声ログ・監視カメラ・メール・SNS投稿URL・来店記録等
- 会社としての対応履歴(誰が何を説明し、何を約束したか)
(4)従業員保護を「会社の義務」として実装
使用者には労働者が安全に働けるよう必要な配慮をする義務があります(労働契約法5条・安全配慮義務)。本改正法の立法過程でも委託先・フリーランスへの保護拡張が論点となったように、保護対象の範囲は今後さらに広がる方向にあります。
- 暴力・脅迫が出た局面:複数名対応・即時退避・警察連携のルールを事前決定
- 事後ケア:被害者のメンタルケア・配置転換の検討・再被害防止体制
- 情報共有:担当者だけが把握している状況を組織として共有する仕組み
(5)外部連携(弁護士・警察・IT)を事前に決める
「起きてから外部連携先を探す」では遅いケースがほとんどです。以下を事前に合意しておくと初動が変わります。
- 出入り禁止・取引停止・契約解除の判断基準と手続き
- 内容証明等による接触停止の通知(弁護士名義で送ると抑止力が上がる)
- SNS投稿の削除要請・発信者情報開示の検討ルート
- 刑事事件化の検討(暴行・脅迫・業務妨害・不退去罪等)
ポイント(第4章)
「方針文書化→フロー固定→記録標準化→従業員保護→外部連携の事前設定」の5点を最小構成で着手することを推奨します。完璧な体制を一気に作ろうとするより、運用できる最小構成から始めて更新していくほうが実効性が高く、指針策定後の追従もスムーズになります。
5 現場で使える「切り返し」テンプレ集
テンプレがあるだけで、現場担当者の心理的負担とエスカレーションが大幅に下がります。業種・顧客属性に合わせて調整してご使用ください。
【場面1】事実確認に戻す
第一声テンプレ
「ご不便をおかけした点は確認いたします。まず、いつ・どの場面で・どのような点が問題だったかを教えてください。」
【場面2】対応範囲を明確化する
ゴール設定テンプレ
「当社として対応できるのは、○○の確認と△△の手続までです。それ以外のご要望には対応いたしかねます。」
【場面3】暴言・威圧が出た場合
対応中止宣言テンプレ
「そのような言葉遣いが続く場合、本日の対応は終了します。以後は書面(またはメール)でのみご対応いたします。」
【場面4】脅迫・暴力の兆候が出た場合
安全確保テンプレ
「安全確保のため、これ以上の対応はできません。必要に応じて警察等の関係機関へ連絡いたします。」
これら4つのテンプレに加え、次の3点を現場ルールとして徹底することで効果が高まります。
- 言い返さない――感情的な反論はエスカレーションを招く
- 約束しない――「確認します」で止め、その場での決定をしない
- 次の手段を提示する――「書面対応に切り替える」「上の者に代わる」と出口を示す
ポイント(第5章)
4場面の定型文と3つの行動ルールを組み合わせることで、現場担当者が「判断しなくてよい」設計が完成します。テンプレの存在が、担当者の孤立防止と対応品質の均質化に直結します。
6 顧問弁護士をカスハラ対策の中核に置くと何が変わるか
カスハラは単発で終わらず「繰り返し」が起きます。顧問弁護士の価値はスピードと一貫性にあります。発生ごとにスポット依頼するより、継続的な関与で「対応の質」と「コスト」の両方が改善します。
(1)単発対応 vs 顧問:何が変わるか
| 単発対応(スポット依頼) | 顧問弁護士(継続支援) |
|---|---|
| 事案ごとに費用・手続きが発生 | スピード対応・費用の平準化 |
| 対応が場当たり的になりやすい | 方針・ポリシー・フローを一貫設計 |
| 再発防止まで手が届かない | マニュアル・研修・窓口設計まで対応 |
| 炎上・二次被害への対応が遅れる | SNS・口コミ等の危機管理も一体で |
| BtoB案件で法的根拠が不明確 | 下請法・独禁法等の交差領域もカバー |
| 指針改定への追従が遅れる | 指針策定後の社内規程アップデートまで対応 |
(2)顧問として提供する継続支援の内容
- 事案の一次評価(違法性・リスク・対応方針の即日相談)
- 対応中止・出禁・警告書などの文書化(弁護士名義による抑止効果)
- 社内マニュアル・ポリシーの整備(業種・拠点の実態に合わせてカスタマイズ)
- 研修(現場向け・管理職向け・窓口担当向け。ロールプレイを含む)
- SNS・口コミ対応(削除要請・発信者情報開示・風評管理の方針策定)
- BtoB取引先からの圧力(下請法・独禁法の視点を含めた対応策の設計)
- 指針策定後の社内規程アップデート対応
ポイント(第6章)
「今困っている案件対応」と「今後困らない仕組み作り」を同時に進めることで費用対効果が上がります。体制が整うほど個別案件にかかる時間・コストが下がっていく構造です。スポット依頼より顧問体制のほうが、長期的には安く・速く・確実です。
7 よくある質問(FAQ)
「クレーム」と「カスハラ」の境界はどこですか?
要求の妥当性・手段態様が社会通念上許容される範囲かどうか・就業環境が害されているかどうかの3軸で判断します。一部もっともらしい要求であっても、手段・態様が不相当であればカスハラに該当します。
東京都の条例は都内企業だけが対象ですか?
条例の定義では、都内で業務に従事する就業者に加え、事業に関連して都外で従事する者も含まれ得ます。拠点が都外でも、都内での取引・営業活動が伴う場合には実態に即した整理が必要です。
罰則がないなら対応は後回しにしても大丈夫ですか?
東京都条例自体に罰則はありませんが、行為の内容によっては刑事・民事・下請法・独禁法上の問題になり得ます。国の措置義務化(2026年10月・政令案)後は指針不適合が行政指導の対象となり得ます。「罰則がないから後回し」という判断が、離職・炎上・損害賠償の原因になるケースはすでに実際に起きています。
フリーランス・業務委託先の従業員がカスハラを受けた場合はどうなりますか?
本改正法の立法過程でも指摘されたように、フリーランスは顧客からのカスハラを受けても保護の枠組みから外れやすい状況にありました。フリーランス保護新法との連携が今後の論点となっており、委託先・外部スタッフへの配慮も企業リスク管理の観点から求められます。
カスハラ対策は何から着手すればよいですか?
「方針の文章化」「対応フローの型化」「記録の標準化」「従業員保護の実装」「外部連携先の事前決定」の5点を最小構成で整えることを推奨します。完璧な体制を一気に作ろうとするより、運用できる最小構成から始めて更新していくほうが実効性が高いです。
8 まとめ
カスタマーハラスメント対策は、令和7年法律第63号(2026年10月施行・政令案)と東京都条例(2025年4月施行済み)という二重の制度的要請により、企業にとって喫緊の経営課題となっています。参議院の附帯決議が示すように、立法府としての姿勢は「全てのハラスメントを禁止する」方向であり、国が今後策定する指針によって求められる措置の水準はさらに具体化・高度化する可能性があります。
重要なのは立派な文書の作成ではなく、現場で再現できる運用(フロー・記録・支援体制)です。5つの仕組みを最小構成で整え、顧問弁護士を中核に置いた継続的な体制整備が、長期的なコスト削減と従業員保護の両立につながります。「起きてから対応する」より「起きる前に整える」が、カスハラ対策の最大のコスト削減策です。
Summary(結論)
カスハラ義務化(令和7年法律第63号・2026年10月施行・政令案)と東京都条例(2025年4月施行済み)を踏まえ、企業は今すぐ「方針文書化・フロー固定・記録標準化・従業員保護・外部連携」の5点を最小構成で整備すべきです。顧問弁護士を中核に置いた継続支援体制が、スピード・コスト・一貫性の面で最も効果的な対応策となります。指針策定後の社内規程アップデートまで見据えた体制構築が、今後の企業競争力にも直結します。
ご相談のご案内
カスハラ対応は「現場対応の巧拙」ではなく、会社としての設計と初動で結果が変わります。脅迫・暴行・不退去・名誉毀損等の疑いがある場合、要求のエスカレーションが止まらない場合、SNS投稿・撮影・拡散の示唆がある場合は、早めにご相談ください。弊所では、カスタマーハラスメントに関する法律問題全般についてご相談を承っております。

